空山羊不見

ソラニヤギヲミズ

シェイプ・オブ・ウォーターのこと、感想とほんの少しの考察

音楽や時代設定、綺麗すぎないのにロマンチックな美術の相乗効果で、現実から一歩踏み出した場所にあるおとぎ話がとても良く表現されていた。特に画面から溢れだしてくるような水の表現が素晴らしい。冒頭のシーン、海中にふわふわと家具の浮かぶ家がだんだんと主人公が寝ている家になっていくところ、すごく好き。いい導入!

そして主人公たちを追い詰める支配者的な悪役、ストリックランドの存在がかなり怖かった。高圧的で、立場に縛られていて、苦しみながら暴走して襲ってくるのが見ていて辛い……少しだけ、同じ監督の映画「パンズ・ラビリンス」のことも思い出した。あっちには主人公を追いつめる義理の父親が出てくるのだが、支配者的な悪役という点は共通している。

 

シェイプ・オブ・ウォーターは、意外と普通の恋の話だと思う。主人公のイライザは自分と全然違うようで似たところのある「彼」と出会って、意志疎通して、はしゃいで、恋をして、エロいことに挑戦して、その過程で周りにめちゃくちゃ迷惑をかける。どれもカップルとして当たり前のことだ。

見てる最中は、好きな人だからってそんな全部受け入れなきゃいけないのか……?価値観の違いのせいで相手に悪気が無かったことだとしても、嫌なことされたら怒ったり泣いたりしてから許してもよくない?ってとこが気になったのだけど、たぶんこれが恋の話だからなんだろうね。

恋をして、結ばれる。この映画はそこまでの話だった。映画に出てくるイライザの友達夫婦とかは終始相手の文句を言ったり喧嘩したりしているし、イライザと彼の今の関係だけがこの映画の愛の形の全てではないのだと思う。

もし、本当に彼とイライザがずっと一緒にいることができたなら。相手の嫌なところも見えるし、傷つけてしまうこともあるし、今日はちょっと顔も見たくない……という日も来るかもしれない。でも、二人ならそれを乗り越えてやっていくのだろう。きっとそれが、「末永く幸せに暮らしました」ということなのだ。

 

ところで、この映画がアンチ・美女と野獣であるという感想を何度か見かけたのだけど、やっぱ美女と野獣が好きじゃないっていうのは監督の趣味の話であって、シェイプ・オブ・ウォーター自体は何かのアンチに位置するような話ではないよねと思うんだ。おとぎ話のツボを考察した上で作られた、怪獣が幸せになるための物語じゃないか?

おとぎ話といえば、美女と野獣以外にもう一つ、シェイプ・オブ・ウォーターから想起されるのは「人魚姫」だ。これに関しては予告の段階で予想していたよりも人魚姫らしさがなかったところが当時は引っ掛かっていたのだが、そもそも人魚姫ってどんな話だったっけと思い出してみたところ自己解決した。

魚人の「彼」を、姫ではなく王子様とするなら。いたはずだ、素性を偽って彼に近付いた人が。憧れていたものになるために悪い大人の言うことを聞いてしまってた人、後から出てきた彼女が彼と心を通わせるのを見ていることしかできなくて、結局君は××なんだから彼を殺さなきゃ駄目だよと言われて、道具を渡されたけど美しいと思ってしまったそれをやっぱり殺せなくて、そして……。

シェイプ・オブ・ウォーターは安直に人魚姫を救ったりはしていない。このおとぎ話の中の人魚姫は、きっとあの博士なのだ。

 

 

※公開当時Twitter、Filmarksに書いていたものを集め、改稿しています