空山羊不見

ソラニヤギヲミズ

ブラックパンサーのこと

それぞれどのキャラクターも好きになれる映画だ。が、特に本作でメインを張ったヒーローのティチャラとヴィランのキルモンガーの、対比から立ち上がってくるキャラクターが素晴らしかった。
人を生かす道を選ぼうとし続けるティチャラ、人を殺すことで前に進んできたキルモンガー。王国で守られながら育ったティチャラ、故郷から遠く離れた場所で孤独に育ったキルモンガー。非暴力を掲げる者と暴力を掲げる者。維持と改革。かつて復讐を選ばなかった者と、復讐の炎を内に燃やす者。心のうちに広大な草原をもつ人と、狭い部屋で少年の心のまま悲しみ続けている人。

ワカンダという国を思い、同胞の力になりたいと思っている点は、本当はどちらも同じだ。そしてキルモンガーにはこの戦いまでにいたる複雑な事情があり、私情に収まりきらない理想があった。しかし、自分と違う者の声に耳を傾けることをやめてしまったという点が、この作品において彼を人々の安全を脅かすヴィランにしている。
キルモンガーは賢い。これまで対話という選択肢を見て見ぬふりをしてきたわけではないのだろう。きっとティチャラには想像もつかないような環境で育ち、戦場を駆け抜けていったことが彼を孤独にし、その選択肢を選べなくしてしまった。そして、そんな想像もつかないような世界で生きてきた敵に対して頭を悩ませ、苦しみ、思想を汲み取ろうと考えることができたという点で、ティチャラは紛れもなくヒーローなのだ。

ヒーローとヴィランの事情に政治的スタンスの違いを上乗せして、さらにその衝突にひとつの答えを出したのは見事だ。それでいて映像もかっこよく、楽しめるエンターテイメント映画になっているところも良かった。ワカンダというひとつの架空の国を創る上で、ものすごく設定を練ったのだろうなとも感じる。


なお、ブラックパンサーアメリカとアフリカを舞台に繰り広げられる作品だが、現代の人種差別をテーマとしているわけではない(もちろん人種差別が登場しないという意味ではない。それを中心に展開しないということが言いたい)。私もこの映画で絶対やらなければいけなかったテーマではないと思う。
ブラックパンサーで起きていることは玉座の奪い合いであり、争点になった主題は「他者より力あるものはどうあるべきか」だった。王という超強大な権力を持ったヒーローを描くうえで、この話は避けては通れなかったと思うので、主役映画で一本通してやってくれてすごく良かった。
「他者より力あるものはどうあるべきか」。このテーマに沿って、ティチャラの「ヒーローであること」、「王であること」、ワカンダという国家の立場、ブラックパンサーを生んだ現代アメリカで起きていることはリンクしている。
現実世界をかなり反映していたテーマだったから、前半でも書いたように、戦って勝つだけではなくラストでとりあえずひとつ答えを提示してくれたのは、見ていて良かったなと思う。心踊るエンタメアクションでありながら、誠実な芯のある物語だった。


蛇足だが、MCUに何度も登場するヴィランであるロキとこの作品に出てくるキルモンガー、ざっくり説明してしまうと同じ「人生拗らせてて王位を狙ってる」キャラである。しかしこの真逆の仕上がりは何だろうか?
コンプレックス全開で、時にコミカルなリアクションで見ているこちらの肩の力を抜かせてくれ、敵役でありながらひたむきささえ感じさせるロキに対し、 キルモンガーはいわゆる被害者意識の強い加害者で、あとちょっとズレただけで面倒な印象のキャラクターになっていたかもしれないところを、絶妙な演技の調整で「ただ拗らせてるのではなくクールで思慮深いところもある」と思わせてくれる。
どちらも、トム・ヒドルストンマイケル・B・ジョーダンの深いキャラクター理解があってのヴィランだろう。演技のお手本のようなキャスト達だ。

 

 

※公開当時Twitter、Filmarksに書いていたものを集め、改稿しています。時代によって評価の変動する作品だと思いますが、あの日私の前に現れてくれたヒーローとヴィランには、永遠に感謝しています。